小津安二郎作品のカメラポジション

 小津安二郎監督作品の映画を2本くらい見ると、そのあとに彼が監督した映画を見かける度、タイトルや監督名を聞かずとも「アッ、これは小津映画ではないか!」となぜか気付くようになります。それは小津映画に、それだけ特徴的な作家性が存分に盛り込まれているから、と言えるでしょう。

 今回は数々のこだわりがある小津監督の作品の中で、特に「カメラアングル(カメラポジション)」について少し注目してみたいと思います。

(小津安二郎監督は長期に亘って活躍された監督であり、作品ごとにも特色が見られますが、今回は大変乱暴な定義であるとは思いつつ、氏の映画に印象的に現れる極端なローポジションのことを”小津アングル”と総称したいと思います)

『晩春』1949年公開 松竹 https://youtu.be/SrcxqdSm5Ss

 

まずは実例

 上記写真は映画『晩春』の冒頭の方のショットです。小津映画の大きな特長と言っても過言ではない、一般的な目線に比べてかなり低い、ローポジションのカメラアングルが、このショットでも遺憾なく発揮されています。 

 なぜこのローポジションを小津監督が導入したかについては諸説言われていますが、小津監督ご本人はとあるインタビューにて、スタジオで撮影をしている際、照明の電源コードが床を埋め尽くしていたので、それが写らないようにカメラのポジションを下げてアオリ構図にしたのがその始めだ、と語っています。 

 しかし、映画について極度にこだわり抜く小津監督ですから、照明のコードだけが原因でこうした画角を選択したとも思えず、恐らく他にも色々な理由があってのことであろうとは思われます。

 

 小津監督のこだわるローポジションは、一般的なローポジションの中でもかなり極端なローポジションで、小津組で数々の作品の撮影を担当した名カメラマンの厚田雄春氏は、時に腹ばいに近い形になってカメラを覗いていたとも伝えられています。 

 一般的に、皆が座って食事を摂るちゃぶ台の天板とレンズの中心が、だいたい同じくらいの高さで、食卓に並んだお皿は写りますが、お皿の中身までは分からない構図でした。これを試しに食卓にお皿を並べて再現してみて頂ければ、いかにカメラの位置が低かったかがお分かり頂けると思います。

Photo by William Rouse on Unsplash

 例えば、ローポジションに構えているこの写真、カメラのポジションはかなり低く見えますが、これでもまだ”小津アングル”には高すぎます。このアングルですと、床に置いたちゃぶ台の上の食器の中に、料理が映ってしまうでしょう。

 大型カメラを載せるにはしっかりとした雲台が必要になりますが、そういう雲台はそれそのものも大型になるため、雲台を載せる三脚はその分、相当に低いものでなければなりません。

 

 小津組ではその低さをしっかりと出せる、特注のハイハットが使われていたそうです。この写真の場合は、下のリンゴ箱を外して床にベタ置きにして初めて、ある程度”小津アングル”が再現できるのではないかと思われます。

 

ローポジションの利点

 小津監督が採用していたポジションが、一般的なローポジションの中でも、特に低いポジションであることが分かってきたところで、その利点について考えてみましょう。

1.床に座った芝居が、美しく撮れる

 小津映画だけでなく多くの日本映画の場合、ハリウッド映画との顕著な違いとして、床にそのまま座って会話する芝居が挙げられます。
ハリウッドではピクニックなんかでない限りは基本的にテーブルと椅子があり、食事のシーンではそこに座って芝居をすることが大半となります。その際の三脚の高さはベビーの2段目か、ビッグの1段目あたりとなることでしょう。

 

 翻って日本映画で畳敷きの部屋の場合、俳優は床に座布団を敷いて座ります。これを演者の目線の高さで撮影する際、ベビーの1段目にジブを付けて構図を決めたりするわけですが、小津映画は、前述のとおりそれよりもかなり低くにカメラを構えます。するとどうなるかというと、演者が座っているはずなのにまるで立っているかのような、妙な浮遊感のあるアオリの構図になるのです。

 立ちの芝居で目高ちょい低めというポジションは、一般的にもしばしば選ばれるアングルですが、小津映画では、座りでもこの画になっていることが分かります。

2.立った芝居で、スタイルがよく見える

 小津映画ではしばしば、登場人物は構図の外から、構図を横切るように現れます。それも、隣の部屋からであったり、階段を降りてきたのであろうところであったりと、さまざまな現れ方をします。

 しかし、ほとんど例外なく、演者が芝居で動いてもカメラは動きません。低いポジションのままじっと、俳優の芝居を記録し続けるのです。リハーサルを入念に重ねる小津映画では、当然、立ちでの芝居もその構図に計算されて織り込まれており、俳優の動きは少し不気味に思えるほど、構図の中に収まっています。

 

 ”全身のポートレート撮影をするときは、腰のあたりでカメラを構えてアオリ気味に撮影すると美脚効果を狙える”なる言説がありますが、小津映画は、それで言うなれば腰どころかひざ下あたりにカメラがあるわけで、立ちの芝居をしている人は皆とてもスタイルがよく見えます。

 

 多くの小津映画に出演した、名優の原節子さんは当時としては身長が高く160cmを超えていたそうですが、小津映画を通じて見る原節子さんは170cm台近くにも思えます。

3.縦構図を、横構図の中に入れ込むことができる

 小津映画の構図の特色に、日本家屋の「奥行き」を生かした構図というものが挙げられます。部屋と部屋を仕切っている襖や障子を開くと、その襖ごとに存在する敷居は、映画の構図内に新たなフレームが現れたかのような効果をもたらし、画面内にメリハリを生み出します。

 

 現実空間を2次元で表現せざるを得ない映画では、そうした奥行きはフィルム上は縦の情報として考えることになります。つまり、奥行きが出れば出るほど、縦方向の情報量が増えるわけです。

 

 ここで、”小津アングル”に立ち戻ってみましょう。このアングルを真似して、なるべく床を映さずに少しアオリ気味でカメラを構えると、構図内の天がかなり空くことに気付きます。冒頭に引用した『晩春』のショットでも、奥の座敷に座っている人々を撮影するにしては、あまりにも天が空きすぎているように思えないでしょうか。

 

  例えば、仮にシネスコ(2.35:1)でこのショットを撮影するとどうでしょう。冒頭の画像の上下をだいたい2:1くらいになるように手で覆い隠してみると、映像の奥行きが急に薄くなって、中ロングくらいのどうもはっきりしない構図になってしまうことが分かります。

 一見不自然にも思われるこの天の空きは、実は小津映画の奥行きに大事な役割を果たしている、と言い切っても良いように思います。

まとめ

 同じ芝居でも、それを撮影するカメラポジションによって、全然違うように撮れてしまうのが、カメラを用いた映像表現の面白さと言えるでしょう。そして、逆に言えば、ポジションを適切に選択できるかどうかで、完成作品のクオリティは大きく変動します。

 

 例えば小津組のように、カメラポジションがある程度予想できる現場であれば、それ専用のハイハットが用意されたりするわけですが、一般的にはそうもいかないことの方が多いものです。ビッグとベビー、ハイハットという基本三点セットすら、予算や荷物の関係で満足に持っていけないことも、ままあります。

 

 それでも、仮に三脚一本しか持っていけなかったとしても、だからハイポジションの画は撮れない、ローポジションの画は撮れなかったという言い訳はやはりあまりしたくありません。 

 ですから、仮に三脚一本しか持っていけない場合、その一本の三脚にハイからローまでの拡張性があると、取れうるポジションの幅も広がって映像表現もぐんと豊かになる、というのは、当たり前ではありますが、改めてここで自分に言い聞かせる意味も含め、主張しておきたいと思います。

 

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